埼玉県の交通事情
【埼玉県の交通の成り立ち】
江戸時代には江戸を中心とした
東海道
中山道
奥州道
日光街道
甲州街道
以上の5つの主要幹線道路がありました。
江戸(武蔵国)を中心としているので、五街道が全部通っているのは当然武蔵国だけです。
武蔵国は明治維新の時に埼玉県、東京都、神奈川県の一部に分割されました。
現在、旧5街道のうち複数の街道が通るのは、わたしの住んでいる埼玉県と東京都だけです。
埼玉県には中山道、奥州道、日光街道が通っています。
この街道が整備され街が出来て、さらに鉄道も整備され、埼玉県の交通網は発展してきました。
古い情報なのですが
下の図は、埼玉県南東部の鉄道網の配置と居住・従業人口の分布(2005年、2006年)です。
下部の青い太線が県境でその下が東京都です。
その東京都から放射状に、人口分布が広がっていることがわかります。
川口市→浦和区→大宮区→上尾市→鴻巣市のラインが旧中山道です。
現在は
国道17号線
高崎線、上越新幹線
が主な交通機関です
東京ー大宮間はさらに
東北本線、東北新幹線、京浜東北線、埼京線も通っています。
この先、熊谷市、群馬県高崎市へ繋がります。
東北本線と東北新幹線は大宮から久喜に向かいます。
越谷市→春日部市→久喜市→のラインが旧奥州道、日光街道です
現在は
国道4号線
東武伊勢崎線
が主な交通機関です。
この先、東武伊勢崎線は春日部駅で乗り換えることで東武宇都宮駅へ、
久喜駅で東北本線へ乗り換えることによって、JR宇都宮駅へ向かいます。
もう一本東京都内から川越市へのラインも目立って人口が多いです。
川越市は江戸時代、江戸防衛の要「武蔵三藩」の1つ川越藩として、酒井氏、堀田氏、松平氏、柳沢氏など幕府の重臣が入封されていました。
そのため古くから川越街道や上水路が整備されていたのです。
現在は
国道254線
東武東上線 東京副都心線 東京メトロ有楽町線
所沢経由で西武池袋線
関越自動車道
が主な交通機関です。
なお川越市と大宮区の間の白い部分は荒川が流れていて東京湾に達しています。
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【埼玉県の交通の実態】
東京から放射状に都市が発展していった、
ということは埼玉県の各都市は東京との交流が強いということになります。
一方、埼玉県の各都市ごとの交流は弱い傾向です。
交流を弱める物理的な障害も存在します。
例を挙げてみましょう。
川越市の人がクルマで春日部市の友人宅を目指す場合
それには荒川を渡り、
さいたま市内のいくつかの主要幹線道路を横切らないと、春日部市にはいけません。
平日ともなれば激しい交通渋滞により、時間もかなりかかることでしょう。
この時点でもう交流する気力もなくなります(笑)。
この地図をみると所沢ー越谷間なんてさらに大変そうです。
観光資源に乏しい埼玉県。
県内の各都市に行くぐらいなら、東京都内へ電車で遊びに行ったほうが早くて楽しくてイイね!
ということになるのは想像するに難しくありません。
埼玉県(の交通)は<
JR高崎線、JR東北線、国道17号線、荒川の壁で
東西に分断されているといっても過言ではありません。
南東部ではJR線の数も増え、より顕著と思われます。
埼玉県の西部に住んでいるわたしが生まれて初めて春日部市民に出会った場所が都内でした(汗)
鉄道線路には高架橋が、河川には橋もいくつか架けられて、以前に比べると交通も便利になってきているようです。
環状線のよりいっそうの充実が望まれます。
人口密集地帯なので難しいとは思いますが・・・・。
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