アメリカの好景気 ”帝国”の18年間3

2017年4月19日経済

1982年の8月から1985年の9月まで、ダウ平均株価は底値770ドルから高値1,341ドルまで約3年で74%もの上昇をみせます。
これだけでも十分優れたパフォーマンスといえるでしょう。
しかし、さらに
1985年の10月から1987年9月のたった2年間で底値1320ドルから高値2689ドルまで約100%もの急上昇、株価が二倍になります。
この1985年の10月に何があったのでしょうか。
   

【プラザ合意】

FRBとアメリカの財務省の官僚が、先進工業国(アメリカ、フランス、イギリス、西ドイツ、日本)の大蔵大臣とニューヨークのプラザホテルで会議を開きました。

内容はドルの通貨価値を引き下げる方法についてでした。
それは協調してドル売りをおこない、各国通貨の価値を相対的に引き上げるというものだったのです。

アメリカの輸入依存は減って輸出産業に恩恵をもたらすことができます。
これにより双子の赤字のうち貿易赤字を解消させることが狙いでした。

ドルは外国為替市場で値崩れを起こします。
輸出が増え貿易赤字は減り始めました。

しかしその効果も長くは続きません。
1990年代に入ると再び赤字は増加に転じてしまいます。
国際競争力を失った古い体質のアメリカ産業界は復活すること無く、どうにもならないところまで堕落していたということなのでしょう。

このプラザ合意は世界経済に悪影響を及ぼさないように、大国同士でアメリカ経済を救いましょうという合意でした。

しかしアメリカに対して経常黒字を続ける日本と西ドイツに打撃を与えることができる。
これが真の目的だったという見方が大きいです。
こちらの目的は現在に至るまで効力を発揮しています。

特に日本に対してはこの後も、
1988年のスーパー301条、1989年の日米構造協議と矢継ぎ早にアメリカ流帝国主義で干渉してきます。
 

【プラザ合意後の日本】

日本はこのプラザ合意により円高不況に陥ります。

日銀は大幅な金融緩和を実施。
過剰供給された資産は不動産、金融へ投機されることになり空前のバブル経済を生み出しました。

そのバブルがはじけた後は円高不況にあえぐ輸出産業だけが残り、失われた20年が始まることになります。

 

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