アメリカの好景気 ”帝国”の18年間2

2019年2月28日経済アメリカ経済の歴史

こうして1982年夏からダウ平均株価は上昇を始めます。
それは1999年まで続く超大なものでした。

ただ、過去二回のブルマーケットと比べると、アメリカにとって心穏やかではない日々が続きました。
EC、日本経済の台頭
地域戦争や紛争<
など、外的要因が度々アメリカの地位を脅かします。

しかしアメリカは、領土的侵略を伴わない”帝国”主義ともいえる支配力を政治、金融の両面から行使し続けます。

 

【双子の赤字と強いドル】

1970年代から続くインフレを抑えるために、FRBは高金利政策を続行していました。

この高金利はドルの価格上昇に繋がり、輸入品が増大し貿易赤字を生み出しました。
さらに景気浮揚を目的とした1981年の経済再建租税法による大幅な減税により財政赤字も増え続けました。

レーガン政権は貿易赤字に懸念はしていましたが、強いドルはアメリカにとって有利と考えていました。
強いドルは海外から投資資金を呼び込むことになります。
つまり財政赤字を海外からの資金によって穴埋めしようとしたのです。

その海外投資資金はアメリカ企業や不動産の購入に向かいます。
欧州企業による買収は以前から行われていましたが、この時目立った動きをみせたのが日本の投資家でした。
この日本の進出はアメリカに危機感をもたらします。

1970年代の重度のインフレにより、アメリカ企業の設備投資、研究開発費は抑えられ、企業の国際競争力は低下していました。

そこへ1960年代後半から安価で高品質な工業製品が日本やECから入ってきました。
アメリカ国内でさえ国内製品は粗悪なものと受け止められるようになっていたのです。

アメリカ産業界は自らの競争力低下を棚に上げ、海外企業に貿易制裁を科すことを議会に働きかける動きさえ見せるようになります。

アメリカ議会はドル高を是正し、経常黒字を続ける日本やドイツを狙い撃ちするある画策を企てます。
それがプラザ合意だったのです。

戻る       
続く

スポンサーリンク