アメリカの好景気 確信の1950~60年代1

2019年2月21日経済アメリカ経済の歴史

1929年10月の株価大暴落から始まった世界恐慌

各国はその対応に追われます。

学校の世界史の教科書では、
アメリカではルーズベルト大統領がニューディール政策を行ったとか、イギリスではブロック経済で恐慌を脱した、ようなことを教わるわけですが、当然のことながら、こんな単純なことでは恐慌からは抜け出せません。

 

【恐慌との戦い】

1929年の春からハーバート・フーバー(共和党)が大統領に就任していました。

未曾有の危機に対して1930年6月にアメリカ製品を保護するために輸入品に関税を掛けるスムートホーリー関税法
を成立させました。

しかしこれはアメリカの不況をさらに深刻なものにしました。

1933年フランクリン・ルーズベルト(民主党)が大統領就任
ニューディール政策として
公共事業、大規模雇用、労働時間の短縮、賃金の確保
農業生産量の調整、労働者の権利拡大
金融規制として
証券法、銀行法(グラススティーガル法)
など色々手をつくしました。

政策による賛否は色々あるようです。

ニューヨーク州知事、民主党大統領候補でもあったアル・スミスの「ニューディール政策は共産主義に等しい」という講演。
保守派の「ニューディール政策は忍び寄る社会主義である」という主張もあります。

第二次世界大戦が勃発してアメリカ経済は上向いたという説があります。

たしかにGDP、失業率は改善しているようにもみえます。
しかし、戦中、戦後からの極度のインフレに対しても、その効力は発揮されていません。
なによりダウ平均株価はずっと低迷したままでした。

 

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【小さいきっかけ】

この第二次世界大戦中、
FRBが、金利を低く押さえて政権市場で資金調達が安く行えるように市場に介入し権威を強めました。

そして財務省が発行した戦争債を銀行に買わせて銀行に名誉を与えました。

さらに、「投資銀行は独占トラストである」という嫌疑が、ハロルドメディーナ裁判長によって却下されたこと。

などにより
1929年以後、ニューディール陣営によって抑え込まれていた金融業界が再び復権しています。

そして朝鮮戦争が終わり、
1952年、5代も続いた民主党政権が終わるにいたり、新しいブルマーケットが起動するのです。

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続く

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