アメリカの好景気 狂瀾の1920年代3

2019年2月16日経済アメリカ経済の歴史

1929年の10月24日、株価が大暴落します。

 

【予兆】

しかしその年の3月と5月にも暴落は起きていました。

それ以前にも「靴磨きの少年の話」で有名なジョセフ・ケネディは、市況について警告をウォールストリートに発していましたし、
1929年の3月の暴落時には、有名な投機家たちも株式を換金し始めていました。

投機家たちのなかには、
株価が下落したときに、それを支えるプールのため自らもお金を拠出しようと銀行家団に提案した者もいたそうです。

さらに8月、ニューヨーク連銀は公定歩合を6%にまで引き上げました。

しかしこのような警告は全く受け入れられませんでした。

フランスの心理学者ギュスターヴ・ル・ボン(1841-1931)が
「群衆とは未開人のようなものだ。欲望とその実現との間には、
大きなギャップがあるということを認めようとしない」
と述べています。
これが1920年代後半のアメリカ社会、経済の状況を、的確に説明したものといえるのではないでしょうか。

 

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【悲劇の火曜日】

10月24日は「暗黒の木曜日」と言われています。

しかしウォールストリートの銀行家たちが株式市場を支えるために、合計2億4000万ドルを拠出、必死の反撃を繰り返した結果、優良銘柄ではプラスに転じたものもありました。

金曜日、土曜日は相場は落ち着いていましたが、銀行家たちは木曜日に買った株をこっそり売り始めていました。

月曜日に再び暴落が起こります。
そして「悲劇の火曜日」と呼ばれる10月29日が始まります。
1600万株以上の株が一気に売りに出され、通信システムがパンク。
例えばホワイト・ソーイング・マシーンの株価は最高48ドルでしたが28日の終値は11ドル、この火曜日には買い手が全く無く1ドルで買えてしまったそうです。

一週間前の23日、ダウは325ドル、そして28日の最低値は212ドル
一週間で35%近い暴落だったのです。

 

【その後】

10月30日には特別配当、増配を発表する企業が続出し、株価は上昇。

しかし11月以降下げ相場は本格的になり、1932年の底値(なんと42ドル!!)までダウは下げ続けます。

そしてダウが再び200ドルを大きく上回る(回復)には、1950年代まで待たなければなりませんでした。
つまり20年以上の月日を要することになるのです。

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