アメリカの好景気 ”帝国”の18年間7

2017年5月23日経済

【インターネット・バブルの5年間】

コンピューターによるネットワーク化の研究は、1960年代から行われていました。

多くの新しい技術や規格が生まれました。

それらが1980年代に、
TCP/IP(インターネット・プロトコル・スイート)に統合され、さらに1989年にワールド・ワイド・ウェブ(www)の発明によって、1990年代初頭には汎用商業用としてのコンピューターワットワークが完成します。

このコンピューターネットワークは、確かに今後の世界の有り様を変革する、第二の産業革命ともいえる技術でした。
新しい投資先を求めていた、ウォールストリートの目にもそう映っていたに違いありません。

そして1995年、
インターネットブラウザを開発したネットスケープ社が株式公開すると、その株価は取引の初日に3倍の値をつけます。
これでハイテク株ブームに火がつきました。

発売後三ヶ月で1000万本を売り上げたマイクロソフト社のWindows95の登場も見逃せません。
ユーザーフレンドリーなインターフェースを備えたOSの登場は、一般家庭へのインターネット、高性能パソコンの普及を後押ししました。

このブームを始めは懸念していたFRBのグリーンスパン議長も、1987年にはこの「新しいパラダイム」の可能性を受け入れ、この技術革新によってインフレなき成長の時代が来ると予想するほどでした。

さらに1990年代末には電子商取引(eコマース)が可能となりました。
「ドットコム会社」と呼ばれるベンチャー企業が乱立。
さらにダウ平均株価を押し上げていきます。

30年以上にわたる研究の成果が、クリントン政権で花開いたというのはクリントンの持つ強運以外のなにものでも無いでしょう。
 

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【1998年の金融危機】

1998年の8月、
一ヶ月間でダウ平均株価は1300ドル以上暴落します。
ヘッジファンドのLTCM危機です。

LTCMは相対価値取引を主力とするヘッジファンドです。
ソロモン・ブラザーズのジョン・メリウェザーによって、設立され1994年から運用を開始していました。

相対価値取引自体は極めてローリスクなのです。
ただ、巨額の利益を得るために大きなポジションをとり、レバレッジをきかせて取引する必要がありました。

95年、96年には利益率が40%を超えるハイパフォーマンスをみせていました。
しかしこの頃になると、他の金融機関もLTCMの戦略を取り入れるようになり利益が減少し始めます。

さらにアジア金融危機に襲われ、そしてロシアのデフォルト問題が決定的となりLTCMは破綻します。
世界的な暴落を招きかねない状況で、金融機関が総額36億5千万ドルを支出し、LTCMを買収、清算することになりました。

このLTCM危機の問題点は二点あります。

まず、
規模の小さい会社が、
巨額の資金を銀行から借り入れ、資産運用・金融取引をしていても、金融規制当局がその実態がまったく掴めていなかった
という点です。

FRBが早期介入したのも、この事実が知れ渡るのをとにかく隠蔽したかったのでは、との推測があります。

また金融工学的手法を駆使し高度に専門化されていたため、資金の提供者(投資家)と運用者との間に、情報の非対称性が生じていました。

投資家にとって、
その運用の仕組み、実態がブラックボックス化していた場合、本来、手を出しづらいはずなのです。
しかし、すでにこの頃には、
数学モデルですべての金融を捉えられるという幻想が生じていて、検証もままならず運用者に任せていたことも問題でした。

 

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【まとめ】

クリントン大統領の8年間では、ITブームのほかにも

  • 過剰になっていた不動産投資から資金が株式に移行してこと
  • 日本の生産技術を取り入れた生産性が向上していたこと
  • 戦後のベビーブーム世代の可処分所得が増えていたこと

などの要因が重なって、
1998年から2001年まで4年連続統合予算黒字達成
実質経済成長率平均3.7%
ダウ平均株価は3400ドルから11750ドルまで上昇
と、経済面で大きな実績を残しました。

しかし大統領二期目で、
前代未聞の生々しい不倫スキャンダル発覚という失態を招いてしまったのは、運を使い果たしてしまった反動だったのでしょうか。

クリントンが退任後、
ITバブル崩壊、9.11同時多発テロが起こり、この18年間にわたり続いた超大なブルマーケットは終わります。

アメリカファーストな政策と外交、
インターネット社会の形成とそのバブル、
コンピューターの発達によって生み出される金融商品により繰り返されるバブルとその破綻、
に彩られた18年間でした。

最後に・・・・・
アメリカ金融の中心街はなぜ”ウォールストリート”と呼ばれるのか。
1600年代、アメリカに渡ってきたイギリス人たちが、ネイティブ・アメリカンからの襲撃に備えて、ここに壁(砦)を作ったことからウォール(壁)ストリートと呼ばれるようになったのです。

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