アメリカの好景気 ”帝国”の18年間6

2019年2月14日経済アメリカ経済の歴史

1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任
8年の任期を終え、
1989年から大統領にジョージ・H・W・ブッシュが就任しました。
共和党の大統領が続きました。
 

【ブッシュ大統領の4年間】

そのブッシュ大統領の4年間に、
ベルリンの壁崩壊、そして東西ドイツ統一
イラクがクェートに侵攻したことから始まった湾岸戦争
ソビエト連邦の崩壊
と近年の歴史に残る出来事がありました。

東ドイツを吸収した旧西ドイツは、その後長らく経済不況に襲われました。
日本も土地バブル崩壊により10年以上に渡って低迷。
湾岸戦争によりアメリカの軍事的支配は強まり、さらに共産国家ソビエト連邦までが崩壊するにいたって、政治、金融、軍事においてアメリカの一極支配が強まったのです。

ブッシュ大統領は、
湾岸戦争、
さらにパナマ侵攻、ソマリア内戦介入、中東和平会議
でアメリカファーストな外交で点数を稼ぎます。

しかし内政では苦闘が続きました。

前政権が行った経済再建租税法により増大した財政赤字の再建を余儀なくされ、1990年の包括財政調整法で裕福層への増税を行います。

これは選挙公約に反するものでした。

さらに湾岸戦争後の景気停滞(1991年)が追い打ちをかけます。
 

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【強運の民主党大統領の登場】

ブッシュ大統領との選挙戦で勝利したのが民主党のビル・クリントンです。

選挙戦では”It’s the economy,stupid"(経済こそが重要だ)
というスローガンのもと
減税を含めた景気刺激策を選挙公約にしていました。

しかし1993年、大統領就任後いきなり政策を転換します。
財政赤字を解消すべく増税を断行するのです。

これは
クリントン自身が設立したアメリカ合衆国国家経済会議(NEC)の初代委員長に選出されたゴールドマン・サックス会長ロバート・ルービンの影響が大きいと思われます。

ルービンは
財政赤字の削減に取り組んでいることを債券市場に認識させれば、債券市場は金利を引き下げ、経済がよい方向に向かうと考えていました。

クリントンはなんとか与党を説得して、
個人所得税最高税率の引き上げ、法人税率の引き上げを基本とした増税法、
1993年包括財政調整法を可決させます。
一票差の可決でした。

この93年法はブッシュ大統領の90年法を手本としていました。
これによってクリントン政権も苦境に陥ります。

ほぼすべての経済評論家は世界的な景気後退が起こると予想しました。

増税となれば、国民からの反発も相当なものだったのでしょう。
94年の中間選挙では民主党は大惨敗を喫します。
 

【減少する財政赤字】

ブッシュ大統領のように、短期政権に終わりかねない状況下で、ではなぜクリントン政権は96年の大統領選にも勝利し、8年の任期を得ることができたのでしょうか。

実は93年法では増税の他に、大幅な軍事費、メディケアの削減に踏み込んでいました。
冷戦後の軍事費削減が、クリントン政権の頃になってようやくできるようになっていたのです。
(冷戦終了直後では軍事費削減は時期尚早でさすがにできない)
これが幸いしました。

この大幅な軍事費削減によって財政赤字の減少が現実味を帯びました。
そのことによってFRBは金融緩和策のもとで長期金利の低下を促しました。
金利の低下は企業への投資の拡大も起動させます。

ちょうどその時、タイミングよくその投資が向かう先が現れました。
これがクリントン政権にとって、もう1つの幸運でした。

それはインターネット・バブルとも呼ばれるようになっ たITブームだったのです。
 
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続く

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