冬の日差し

2020年1月26日日常の文系・雑記エッセイ

2017年の冬

関東地方は相変わらず乾燥した冬の晴天の日が続いていています

日本海側から吹き下ろしてくる極寒の風に悩まされることはありますが
冬の日差しに恵まれているというのはありがたいと思います
(今年は西日本の日本海側で大雪が続いているそうなのでよけいに感じます)

夏の、
ギラギラとした肌に突き刺す原色と野性味に溢れた
太陽光線ってやっぱりステキなのですが

冬の、
どこまでも無色透明で
燃えてはいるけれど、どこか冷静、知的で温度を感じない
日差しも大好きなのです

このような”冬の日差し”感じさせるアーティストの方々
いらっしゃいますよね

まずは
ジャズピアニスト・ビル・エヴァンス(Bill Evans)
さんです

彼の才能がいかんなく発揮されたピアノトリオ(ピアノ・ベース・ドラムの編成)
というフォーマットは
その性格上、エネルギッシュな音楽というイメージとはもともと無縁なのですが
初期の録音から晩年までのその作品群、
それがアップテンポのドライブを効かせた作品であっても
”冬の日差しのような”という形容詞がピッタリ当てはまる演奏ばかりです

とはいえ決して弱々しさはありません
その浸透力、影響力は凄まじいものがあります
たとえそれが帝王・マイルズ・デイヴィスとのセッションであってもです
マイルズの名作「カインド・オブ・ブルー」はエヴァンスあっての
作品ですよね

次は
文豪・夏目漱石
さんです

初期の作品はそうでもありませんが
いわゆる三部作の”門”あたりから、文体から遊びの部分がなくなり
”色”が抜けてきて
いえ、抜けるというより無色透明なベールで覆っていくというほうが
あっているでしょうか

人間の心の深部をえぐり出すという重いテーマをとりあげるようになり
そこから発せられる闇の衝撃をできるだけ和らげたい
そんな意図さえ感じられます

代表作”こころ”はその極致といえましょう
この作品では夏の海辺が舞台となるシーンが二箇所でてきますが
いずれも日本特有の湿度のある暑い夏はあまり感じません
表現を極力減らし、まるで冬の地中海での出来事のように感じられます
終盤の悲劇との”差”をなくそうとしているのかと勘ぐってしまいます

逆に派手でカラフルな文体・技法を重ねてその衝撃を和らげているのが
太宰治ではないでしょうか

最後は
大音楽家 ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト
さんです

人間大好きなモーツァルトさん
依頼されたからには100%依頼主さんの希望を叶えるべく
死力を尽くして作品を仕上げます
その作品群は
長調を多用し明るく色彩色豊か、尚且つ
ところどころに短調を織り込み
芸術作品としての価値をも備えた
傑作ぞろいなのです

が、一連のミサ曲(レクイエムは除く)には
カラフルさを押さえた曲が多いです

自らの音楽スタイルに宗教音楽の荘厳さ、深淵さを
重ねていった結果でしょうか

ザルツブルグの大司教からの依頼となれば
なおさら宗教色を強めざるを得なかったことでしょう

その結果、どことなく透明感の増した曲に聞こえます

それでもバッハのように対位法はほとんど使わず
長調を多用し、華麗なテンポチェンジ、
ときにはモーツァルト節(ジュピター音型)も織り込んだりして
祈りを捧げに教会にきた人たちに微笑みを届ける音楽を構築しています

さすがは我らがモーツァルトさんといったところです

いずれもわたし個人の思い込みなので
色々な捉え方の一つなのですが
今日のような冬の日差しが差し込む日曜日の午後に
聴いたり、読みたくなるアーティストさんたちなのでした

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