ブライアン・ウィルソンの対位法 その1

2019年1月16日音楽系ブライアン・ウィルソン研究

1960年代のアメリカトップ40ファンならご存知の方も多いと思います。
ロックバンド・ビーチボーイズの
ベース・作曲・ヴォーカル&コーラス担当の
ブライアン・ウィルソンビーチボーイズに関する研究論文ですw

 

【ブライアン・ウィルソン来歴】

近年はその音楽性も認められていて、しかも音楽大学の卒論にも取り上げられることもあるというブライアンです。
しかし、トップ40のヒットチャートに自身の曲を何曲も送り込んでいたのは、1962~1966年ぐらいの非常に短い期間でした。

その後1967~1980年代末の約20年間、引きこもり生活に陥りました。
ドラッグ漬けになってしまった、
自身の最高傑作となるはずだった新しいアルバム(SMILE)を完成させられなかった、
時代の音楽がハードなものになって、自身の曲調がついていけなくなってしまった、
ことで精神的に破滅してしまったためでした。

ドラッグ&アルコール漬けになり、美しい声も潰し、体重は150kgを超えるまでになり、死の影すら纏うようになったブライアン。
しかし支援者たちによる長年にわたる”支え”によって奇跡的に生命を取り留めます。

2000年代にはSMILEアルバムをライブ演奏で復活させたり、2015年にはソロアルバムを発表するなど、現在でも精力的に活動しています。

【音楽的評価】

ヴァン・ヘイレンのヴォーカル・デヴィッド・リー・ロスが「カリフォルニア・ガールズ」をカバーしたこともありました。

しかし、ビーチ・ボーイスの音楽的な評価は以前までは

「ビーチ・ボーイスはビートルズに追いつこうとしていきずまったグループの、たまたま目を引く一例に過ぎない」
@ローリング・ストーンの発行者ヤン・ウェナー/12月14日号、1967年

という過酷なものが少なくなかったのです。

アメリカの音楽業界ではサーフィン&ホットロッドバンドに過ぎないという位置づけだったのでしょう。

しかし、
ポール・マッカートニーによるビーチボーイズのアルバム「Pet Sounds」の解説
2000年以降のブライアンの精力的なライブ活動、
動画サイトへの60年代当時の貴重なメイキング映像や貴重な音源の投稿
によって一変しました。

それを見た人たちによる再評価が進んだのです。

わたしもその”遅れて来た再評価”組の一員です。
60年代当時のビーチボーイズの生演奏での見事なコーラスワーク
ブライアン独特なコードヴォイシング、
スタジオでの録音中、ミュージシャンたちに演奏指示しているブライアンにやられてしまいました。

その2

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