【バッハ】小フーガ BWV578 DTMと分析 -1-
私にとってバッハは、フーガ、対位法の巨匠・大先生です。
バッハにも、巨匠、大先生が存在していました。
その時代の巨匠といわれる作曲家たちです。
その巨匠たちからフーガを探求、吸収しました。
【バッハの青春時代】
1703年、18歳のバッハはヴァイマルの宮廷楽団に就職します。
さらにアルンシュタットの新しい教会のオルガン奏者として採用されます。
経済的に保証され、申し分ない社会的地位にあったバッハ。
ただ、このアルンシュタットの町民は、バッハに演奏以上のことは求めていなかったようです。
因習的に演奏さえしてくれればいい
そんな感じだったのかもしれません。
そのため、バッハも演奏という”仕事”を淡々とこなすという日々を送っていたようです。
プールの水の底のような日々の中で、バッハは自身の向上心から、独学でオルガン奏者としての技と作曲の勉強に励みます。
それは1707年までの4年間続きました。
18~22歳という、今でいうと大学時代にバッハは音楽家として非常に実のある有意義な青春時代を送ります。
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【フーガの研究】
音楽以外にも高度な教育を受けていたバッハ
それゆえ、バッハはいわゆる古典(教科書)といわれるモノの重要性をよく理解していました。
バッハはフランス、ドイツ、イタリアの作曲家、オルガン奏者の巨匠たちの作品を研究しました。
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- ヨハン・ヤーコブ・フローベルガー
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- ヨハン・パッヘルベル
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- カスパル・フェルディナント・フィッシャー
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- ジョヴァンニ・レグレンツィ
- アルカンジェロ・コレッリ
といった人たちです。
新しい教会のオルガンを自由に弾けた、ということも好材料でした。
巨匠たちが、音楽主題をフーガ形式に作り上げていく工程に、バッハは興味を持ちました。
厳格な多声の構造を持つフーガ形式は、対位法の原理と規則とに厳密に従うことを要求する
この論理を公式化することにバッハは挑戦したのです。
バッハはまず、お手本となる曲を選びます。
テーマとなる、旋律と対比旋律をうまく調整し、スコアを書き直します。
そして、バッハなりの新たな解答を導き出します。
その過程で、対位法における声部と声部の組み合わせ方、コード、リズム上の新たな特徴を見出していきました
つまり再編曲・再作曲する これがバッハの研究方法だったのです。
【小フーガト短調 BWV578】
『DTM』
そこで私も、私の大好きな曲「小フーガト短調」を分解、再編集してDTMしてみました。
DAWはStudio One 3です。
対位しているフレーズを、できるだけ明確にするために、3~5声に分けました。
大フーガと呼ばれる、幻想曲とフーガBWV542 と区別するために小フーガと名付けられています。
アルンシュタット時代の作品という説と、この後のヴァイマル時代という説があります。
ちなみに、モーツァルトの作品番号に使われるK(ケッヘル)は作曲された順番で付けられています。
バッハのBWVはジャンルごとに付けられています。
作曲順ではありません。
バッハの作品の場合、完全体になるまでの工程が、長期間に及ぶものが多いです。
作品順でないのは、その間に生まれた作品との位置づけが難しいからと思われます。
「フーガの構造」と「コード進行」の分析に続きます。
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