【考察】モーツァルトの謎と晩年のサリエーリ 【K626レクイエム】
【K626 レクイエム DTM】
1791年12月4日の深夜、正確には12月5日、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトはお亡くなりになりました。
35歳です。
亡くなるその時までモーツァルトは、”死者のためのミサ曲~レクイエムrequiem~”を制作中でした。
レクイエムの構成する曲の一つ「ラクリモーサ(涙の日)」の8小節で止まってしまいました。
わたしは以前、モーツァルトのキャリアの中で「フーガの文法を正確に備えた最もスケールの大きいモーツァルトのフーガ曲」としてK626レクイエムの”キリエ”をアナリーゼしたことがあります。
このときのブログではキリエのコード進行の分析も試みました。
しかしフーガの文法は今でもつかめていません。
今回、新たにイントロイトゥス~キリエの流れでDTMにしてみました。
Youtubeにアップされているレクイエムの演奏を色々聴いて参考にしました。
キリエに関してはとにかくフーガの構造をわかりやすくしようとしました。
途中で断念しましたw
このレクイエムは、オペラ《皇帝ティトの慈悲》の依頼とほぼ同じ頃、受けていた仕事でした。
モーツァルトの元にやってきたその依頼主の使者は名を明かさず「死者のためのミサ曲」=レクイエムの制作を依頼します。(今ではその依頼主はフランツ・ヴァルゼック・フォン・シュトゥパハ伯爵であることがわかっています)
報酬は450フロリン
その使者は、このとき前金として225フロリンを置いていったようです。
オペラ一曲分という破格の前金を受け取ったモーツァルトは体にむち打ち制作に没頭したことでしょう。
この謎の依頼主とはいったい誰だったのか?
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【モーツァルトの謎と映画「アマデウス」】
このレクイエム制作中の話に限らず、モーツァルトのキャリアの後半には謎めいたものがいくつか存在します。
- 「フィガロの結婚」以降のモーツァルトの人気的な低迷
- 借金まみれの生活
- 共同墓地にしかも遺体の場所さえわからない埋葬、しかも奥さんも誰も立ち会わなかった
- そしてレクイエム制作を依頼した謎の人物
これらの疑問に、当時実在した”とある音楽家”を暗躍させたらほぼ解決。
そして納得のいくストーリになるという18世紀の時代から存在していたフィクションを元に生まれたのが、ピーター・シェファーの劇「アマデウス」です。
ミロス・フォアマン監督によって映画化もされました。。
そして、とある音楽家とはアントーニオ・サリエーリです。
[映画「アマデウス」]
実は好きな洋画5本の中に入るぐらい好きな映画です。
- 観る人を18世紀のウィーンに一瞬でタイムスリップさせる背景美術の素晴らしさ
- あまりにも適役すぎるキャスティング
- 選曲もステキ
- とにかくよく練られた息を呑むストーリー
以上の理由です。
モーツァルトの死がアントーニオ・サリエーリの画策に拠るものだと断定するというフィクションを、なんの違和感もなく”完璧に作られた史実”として観る人に刷り込ませる威力が、この映画にはあります。
ただ、登場するのは実在する人たちです。
サリエーリに関しての”黒いうわさ”はうわさであって真実ではありません。
よって映画も、モーツァルトの死因は?殺害されたのか?だとしたら誰に?みたいな感じで、せめて視聴者には「あれ?やっぱりあの人が犯人?」みたいに思わせるフィクションに留めておいたほうがよかったかもと思います。
フォアマン監督も、”この映画はほんとにフィクションなんですよー”というメッセージは劇中に出しています。
音楽に真摯に向き合い努力するモーツァルトを徹底的に排除し、礼節を欠く傍若無人なただの天才モーツァルトに設定しているところです。
あの人をバカにしたような笑い方もほんとひどいw
しかしこのフィクションモーツァルトの設定すら「モーツァルトはこういう人なんだ」と観る人に思わせてしまいました。
世界中のモーツァルティアンの人たちから大バッシングがあったそうです。
わたしが大好きなシーンは
- モーツァルトが野外でピアノコンチェルトを演奏するシーンと室内楽やオペラを指揮するシーン
- 九柱戯の玉を転がしながら作曲するシーン
- 最後の病床でサリエーリにコード進行を指示してレクイエムを作曲するシーン
です。
これらのシーンには本当のモーツァルトがいたような、見たような気がしました。
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[最晩年のサリエーリ]
映画「アマデウス」はサリエーリが自らの罪を告白していくという物語です。
史実として、モーツァルトの死後直後から”モーツァルトは殺害されたのか?”という噂はありましたが、そこにはサリエーリの名前は出てきません。
サリエーリの名前が取り出されるのは、モーツァルトの死後数十年たった19世紀前半の頃です。
ED 45mmF1.8
サリエーリは18世紀後半から19世紀前半にかけて、ウィーンの音楽界では欠かすことのできない音楽家でした。
K626レクイエムを補完したフランツ・クサーヴァー・ジュスマイヤー、作曲家ピアニストのヨハン・ネポムク・フンメル、ベートベンらがサリエーリに師事しています。
さらにサリエーリのウィーン生活50周年が祝われた際にはフランツ皇帝から黄金の市民功労メダルが贈られ、シューベルトはサリエーリのために「3つの儀式用カンタータ」を作曲贈呈しています。
ではどうしてモーツァルトの死に関する黒い噂にサリエーリが出てくることになったのか。
その一因として、その頃モーツァルトの再評価が進み、庶民にモーツァルトの名声が再び響き渡ったからと思われます。
フランツ・クサーヴァ・ニーメチェクの「モーツァルト評伝」、ゲオルク・ニコラウス・フォン・ニッセンの「モーツァルト伝」、イギリス人のヴィンセント・ノヴェロの「モーツァルト巡礼」といったモーツァルトに関する書籍が刊行される。(いずれもモーツァルトの妻コンスタンツェやモーツァルト周辺の人々に取材をした記録)
そしてハイドン、ベートーベンらがモーツァルトの思い出を語り、ロッシーニやシューベルト、さらにゲーテもモーツァルトの音楽を絶賛する。
以上のことから19世紀初頭のウィーンの人々に広くモーツァルトの再評価が進む、というかモーツァルトの神格化が始まったのです。
そうなると当然モーツァルトの生前の不遇や死に疑問も出てくるでしょう。
その矢面に立ったのがサリエーリだったようです。
この黒い噂はロッシーニの耳にも入っていて、サリエーリとの面会の際、そのことを本人訪ねてしまったぐらいでした。(もちろんサリエーリは否定しました)
またサリエーリの弟子たちもその噂を聞いていて疑心暗鬼になっていたようです。
その頃、病気を患い(痛風)老化からくる様々な身体の衰えがサリエーリを襲うようになります。
さらに悪いことに転んで頭に怪我をして入院してしまいました。(水谷彰良著 「サリエーリ生涯と作品」より)
進む老化と入院、さらに黒い噂
サリエーリは精神的にも追い込まれます。
死が近づいていることを察し、今まで一蹴していた自分への黒い噂の存在も”ただならぬこと”として認識したのかもしれません。
サリエーリは見舞いに訪れた元弟子(ピアニスト、イグナーツ・モシェレス)に自身の無実を訴え、黒い噂の火消しを懇願するようになります。
その必死の懇願ぶりが、すでに黒い噂に毒されていたモシェレスには「裏ではやっぱりなにかあるのでは?」という疑念につながったというのは想像に難くありません。
本人はサリエーリが黒い噂とは全く無関係とは思っていても、病室でのサリエーリの状況を周囲に伝えるとき、そのどこかもどかしいニュアンスはなんとなく周囲の人たちに伝わったのでしょう。
このあたりから死を前にしたサリエーリが罪の告白をした、という新たな噂がはびこり、サリエーリがモーツァルトの死に深く関わっているという疑惑はさらに拡大することになります。
ベートーヴェンの筆談帳(ベートーヴェンは耳が聞こえないので訪問者が書き残すメモ帳)にも、サリエーリは喉を自ら切った、罪を告白した、狂人になっている、などという巷の酷い噂が書き記されているそうです。
そこには真実はなにひとつも無いのにです。
サリエーリは入院の4年後1825年の1月21日の未明に亡くなります。
モーツァルトの死因は現在では、リュウマチ性炎症熱によるものとされる説が最も有力となっています。
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【まとめ】
上記の謎に関しては、
ウィーンの聴衆に飽きられた、聴衆がモーツァルトの音楽についていけなくなった、賭博・フリーメイソンの活動にのめり込んでいたのでは?、コンスタンツェの浪費癖、さらには浮気があったのでは
といろいろ憶測・研究が進んでいます。
ただ、モーツァルトの最大の謎は、なぜこのような音楽の神様が現れたのか、これに尽きると思います。
モーツァルトの天才は幼少期からの厳格な教育、そして欧州各地を大旅行して触れた様々な音楽からもたらされたと言われています。
しかし、天性の音感とハーモニー、そして人間離れした驚異の記憶力があったことは確かだと思われます。
私の分析によれば、最低でも6コアのcore-i5のCPU、8GBのメモリー、無限のマルチトラックを備えたDAWソフトに匹敵する頭脳と心がモーツァルトには備わっているとみています。(私のパソコン環境です)
そうでなければ、たった3ヶ月に満たない期間で3大交響曲(39,40,41番交響曲)を書き上げるなどぜったいに不可能です。
私がたまーにモーツァルトの作品をDTMにするのは、その天才ぶりに触れられるからです。
わたしはだいたい、ワンフレーズごとに各パートを打ち込んでいきます。
第一バイオリンを打ち込んで再生
その後第二バイオリンを打ち込みます。
そしてチェックのためその2パートを再生したときに、その2パートのためだけのメロディーとハーモニーが明確に現れます。
指揮者でしか味わえない感動があります。
今回のレクイエムのイントロイトゥスとキリエでは対位法とフーガが重用されています。
なので、バセットホルン(クラリネットで代用しました)とストリングス、そしてファゴットの音の隙間を埋める掛け合いが明確になって、とにかくそのハーモニーが素晴らしかったです。
DTM化はしばらくやめられそうにありません。
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