【書簡集と写真集を読んでみた】 グレン・グールド入門 来歴と私生活編
【「グレングールド書簡集」と「グレングールド ア・ライフ・イン・ピクチャーズ」】
ギターアンプでグレングールドの録音を聴いたら彼の独特なハミングが目立たなくなって彼の演奏が一気に好きになりました。
という内容のブログを書きました。
それからは彼に関する本(書簡集、写真集?)を読んだりして益々ファンにw
その書籍が
みすず書房 「グレングールド書簡集」
ソニーマガジンズ 「グレングールド ア・ライフ・イン・ピクチャーズ」
です。
それらの本で初めて知ることとなったグレングールドの来歴とその私生活についてざっくりと引用させていただきます。
【来歴】
[幼少期]
- 1932年9月25日、カナダのトロントに生まれる
- 3歳 母親からピアノを習い始める(母は音楽教師だった)
- 6歳 伝説のピアニスト ヨーゼフ・ホフマンの演奏会でピアニストになることを決意
- 10歳 トロント音楽院(現在の王立音楽院)に入学 アルベルト・ゲレーロに師事
[プロへの道]
- 11歳 キワニス音楽祭 ピアノトロフィコンペティションに入選
- 13歳 トロント音楽円管弦楽団と共演。ベートーベンピアノ協奏曲(Pcon)4番第一楽章演奏。この時の批評がトロントの「グローブ・アンド・メール」紙に掲載される
- 17歳(1950年) カナダ放送協会(CBC)がグールドの演奏するモーツァルトとヒンデミットのピアノソナタをラジオ生中継
- 19歳 CBCテレビジョンに出演 ゲレーロへの師事をやめる
- 20歳 トロントのホールマークレーベルより初の商業レコードを発売
- 22歳(1955年) ワシントンDCにあるフィリップスギャラリーで演奏会。 続いてマンハッタンのタウン・ホールで演奏、この時の批評がワシントンポストに載る。コロンビアのプロデューサーオッペンハイムの目に留まりグールドと独占契約を結ぶ
- 23歳 コロンビアのデビュー盤 [ゴルドベルク変奏曲] 発売 以降32歳まで演奏旅行に明け暮れる
LumixS5 Sigma24mmArt
[録音と映像制作に傾倒]
- 29歳(1962年)ブラームスのPcon第一番をレナード・バーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニックと演奏。その際バーンスタインと曲の解釈で対立。評論家たちから不当な批判を浴びせられる
- 31歳 ロサンジェルスにて最後の公開演奏会
- 32歳(1964年)演奏会活動から事実上引退 以降レコード録音とテレビ番組制作 テレビ番組では司会も
- 34歳(1967年) ラジオドキュメンタリー孤独三部作の第一作「北の理念」制作、CBCにて放送される。1969年「おくれてきた人々」1977年「大地の静かな人々」制作
[最後の時]
- 42歳 母親脳卒中で死去 一年以上録音できず健康不安も抱えるようになる
- 47歳 デジタル録音を開始(ヤマハCF-2)
- 48歳 ニューヨークにて「ゴルトベルク変奏曲」をデジタル録音
- 50歳(1982歳)9月に脳卒中の発作 10月に死去
書簡集からの引用が中心です。
興味深いのは人気絶頂の頃、演奏活動をやめていることです。
その時の理由、グールドの心情について本には色々書かれていますが、ちょうどその頃ライブ活動を休止したビートルズの事情と共通点が多いと思いました。
あとモーツァルトの幼少期にも通じるのですが、幼少期における厳格な教育はとくに重要で天才の出現には不可欠と思いました。
【私生活】
[動物好き]
来歴を見ると厳格なピアノ教育の元、ピアノ漬けの幼少期~青年期を送っていることがわかります。
同年代の友達とのつながりはほとんど皆無だったようです。
その友達の代わりとなっていたのが動物(ペット/犬、インコ、金魚)たちです。
グレンはこのコたちに偉大な作曲家(モーツァルト、バッハ、ハイドン、ベートーベン、ショパン)らの名前をつけてかわいがっていたそうです。
犬宛に旅先から手紙も出しています。
インコにはモーツァルトと名付けていて、インコ好き、モーツァルト好きの私にはこれまた好印象です。
グレンにとって
「動物愛護は生涯最大の関心事のひとつ」(映画を専攻する学生への書簡より)
であり、実際に彼の遺言によってグレンの財産の一部はトロント動物愛護協会と救世軍に遺贈されつづけられています。
[鉄道マニア]
グレングールドは上記34歳の時に「北の理念」というラジオドラマを制作
その時にマスケグ・エクスプレスのディーゼル列車の警笛をドラマ内で使用
そのことを指摘したファンに対する書簡の中で
「お分かりかとぞんじますが、私は”鉄道マニア”です」
と書いています。
その書簡の中ではさらに輸送機関のかなめである旅客列車が北アメリカから急速に姿を消していくことを憂いています。
この警笛もドラマ内でリズムを作り出す効果を狙って使用したそうです。
[夏目漱石の”草枕”の愛読者]
グレンは1967年に夏目漱石の「草枕」(英訳「三角の世界」)に出会ってから亡くなる直前まで愛読していました。
81年には朗読番組も制作しています。
「20世紀小説の最高傑作」
とまで評しています。
脳卒中の兆候が出て入院後、ベッドの傍らに置いてあったそうです。
[健康面]
色々なグレンの写真の雰囲気からして、”健康に気をつかっているという人ではないんだろうな”というイメージはありました。
しかし、両書を読み進めてみると
健康には気を使っていた、しかし食事や運動からのアプローチではなく様々な薬、サプリに頼ったものだった
ということがわかります。
まあこれはこれでイメージ通りでした。
【まとめ 写真好きの方にはぜひおすすめ】
グレン・グールドについての来歴や私生活について引用させていただきました。
「書簡集」に関しては、グールドの仕事に対する姿勢やその当時のプロのピアニストの仕事の進め方も良くわかります。
とても貴重なレコード(記録)です。
「ア・ライフ・イン・ピクチャーズ」に関して、写真好きの私としてはグレングールドに関する内容よりもまずその写真の美しさに驚きました。
すべてモノクロ写真なのですが、いきいきとしたグレンが収められています。
クリアでコントラストの効いた、ダイナミズムに溢れたモノクロ写真の魅力・説得力に嵌る一冊です。
これらの写真はやっぱりライカで撮られているのでしょうか?(グレンの家は比較的裕福だったそうです。父親は毛皮商で成功、母親は音楽教師)
夏目漱石の”草枕”の愛読者、というのが一番の驚きでした。
以前読んだ記憶があるのですが、途中で挫折したような気が・・・
再挑戦してみようかなと思います。
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