稲作の歴史と文化~稲作がもたらしたもの~

2019年7月14日日常の理系

【稲作の登場によって】

稲が青々と茂り水田がとても美しい季節になりました。

日本の歴史上、文化・生活にもっとも深く影響してきたのが稲作と言えるでしょう。

穀類の栽培自体はすでに縄文式文化の後期、アワ・ヒエなどの畑用植物で行われていました。

稲作農法が海外からもたらされたのは、弥生式文化になってからです。

【主食と副食の発生】

縄文式文化までは、食べることのできる動物・魚介類・植物を捕獲して食していました。

ここにお米が登場してきたことによって、主食、副食の概念が生まれました。

ただし、お米が常食になったということではありません。
お米は貢租品という扱いでした。
生産する農民でさえご飯を摂ることは困難でした。

この状況は江戸時代まで続きます。

【食塩精製】

お米が主食となると、捕獲した動物の”肉”が副食となりました。

そのことによって塩分不足となりました。
縄文式文化までは捕獲した動物の臓器から塩を摂っていたのです。
海水から塩の結晶を摂ることが始まりました。

スーパーマーケットの食塩コーナーで高級塩として「藻塩」の名前を見かけます。
これは”海藻を海水に漬ける→乾燥→海水で洗う”を繰り返したのち、壺で煮沸させ塩の結晶を得る方法で造られた塩です。

この藻塩方法はすでに弥生式文化で確立されていました。
塩田法もしだいに行われるようになりました。

さらに塩の運搬のため街道が整備されることになりました。

これらの街道の発達が後の大和朝廷(王権)による統一の手助けとなります。

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【発酵食品の登場】

お米と塩が食生活の中心となったことで発達したのが発酵食品です。

食品の長期保存が目的です。
ひしお(醤)とお酒があります。

ひしおには次の種類があります。

米、麦、豆を発酵+塩  → 味噌・醤油
魚介の肉+塩      → 塩辛
植物の実・海藻+塩   → 漬物

発酵のための酵母は唾液から得ていたようです。

お酒はお米が主原料でしたが、麦、キビ、果実からのお酒も製造されていました。

【食器・箸】

良質の粘土に洗練された焼成技法の確立により、硬質な土器が造られるようになりました。

こうした弥生土器によって前述の発酵醸造食品の製造が可能になったのです。
食器は土器だけでなく、木製の食器が多用されるようになりました。

ご飯といえば箸です。
現在の箸は二本で一組です。
この形状は奈良時代に入ってからと言われています。
稲作が始まったころの箸は一本の竹を折り曲げたものです。

トングやピンセットのような形でした。

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【ムラの形成】

縄文文化では食物を求めて移動生活をすることも多かったのです。

しかし稲作では農地が必要です。
よって農地での土着生活が始まりました。
稲作は1単位面積当たりの収穫量が最も多いため、大量生産が容易になり、そのための集団定住が進み後の農耕集落へ繋がります。

その過程で農地に対する所有権、労働力、お米の貯蔵量が個人の財産となり、豪族、貴族といった階級が生まれます。

【まとめ】

日本人のパーソナリティーは稲作と米食習慣とともに形成されたといっても過言ではありません。

稲作はさらに社会、文化、経済をも生み出しました。

日本の歴史は稲作から始まっと言っても過言ではありません。

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