モノの価値について考える1
経済学者でもあるアダム・スミスは
次の言葉を残しています。
「水ほど役に立つものはないが、水では何も買えない。
反対にダイヤモンドそれ自体は何の使用価値を持たないが、
交換すると相当の量のものを手に入れることができる。」
水にかぎらず生命を構成、維持するのに必要な必須元素(食料)も
含めて、これらは人類が
長年の歳月をかけて資源の確保、生産技術を磨いたことによって
現代ではローコストで
なんとか確保できるようになっています。
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一方のダイヤモンド(宝飾用)は人工的に作り出すことができません。
ごく一部の鉱床からごく微量しか産出されません。
さらに熟練の職人が技巧を凝らしたカットを重ねてあの輝きになるわけです。
ハイコストの極致ともいえます。
この輝きに魅了された一部の人によってその価値が維持されています。
ハイコストで高価格でありながらその需要も確保されています。
大量生産されるローコスト品とハイコストで希少品の価値の比較
上記の言葉はこの現代においては、しかも一部の先進国においては正しい、的を得ていると言えるでしょう。
しかし、たとえば
日々の水や食料を確保するのに四苦八苦していた原始時代の人間にとって、
また、
砂漠や海で遭難して明日をも知れぬ命という環境にたたされた現代人にとっては
当てはまりません。
ダイヤモンドと水、食料を二者択一で目の前に並べられたとき、ダイヤモンドを取る原始人、遭難者がいるでしょうか
彼らにとってダイヤモンドにはなんの価値もないただの石でしかありません。
このようにモノの価値とは、その時代時代の
マクロ的には社会・経済・環境状況で
ミクロ的には時間、労力(手間)、心理的負担等で
変化していきます。
固定されるものではありません。
そしてそのモノ(資源、貨幣、企業等)の将来の価値を探ろうとするのが
金融先物取引ということになります。
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