アメリカの好景気 確信の1950~60年代3
アメリカ・ロサンゼルスに、1942年に設立されたキャピトル・レコードの本社ビルがあります。
このビルは1956年完成されました。
ビートルズを始め錚々たるミュージシャンと契約してきた、一大メジャーレコード会社です。
Wikipediaにそのキャピトル・レコード本社の画像があります。
見ていただけるとわかるのですが、円柱状の巨大なビルディングを有していて、その前に巨大な壁画があります。
その中央、
ジャズ界の大スター、デューク・エリントンやマイルズ・デイヴィスを押しのけて鎮座している人物がナット・キング・コールです。
ジャズピアニストのナット・コールでしたが、その艶のあるハスキーボイスを活かして1944年から歌手としても成功しました。
50年代からはポピュラー・ソングを数多く歌い、ことごとくヒットさせました。
このキャピトル・レコードの本社ビルは、ナット・コールが建てたビルと言われています。
【成長するポップカルチャー】
第二次世界大戦中、戦後のベビーブームで生まれた子どもたちが成長し、二千万人もの新しい消費者が出現しました。
親から子どもたちに与えられたお小遣いが向かった先が、映画、音楽といったポップカルチャー産業や、自動車産業、マクドナルドのようなファーストフード産業だったのです。
ナットコールの成功によって、巨大な富がもたらされたキャピトルレコードはその象徴的な一例です。
ナットコールの成功は、また音楽業界に、作品の良さと歌唱力と同様に、その歌手のキャラクターがより重要になってきたことを示しました。
その延長上に現れたのがエルビス・プレスリーやチャック・ベリーといったスターです。
新興のテレビの映像メディアを最大限活用し、自らのキャラクターを売り物にしたロックンローラーたちといえるでしょう。
1954年にプラスチック製のEPレコード(ドーナツ盤)、LPレコードが確立すると、戦後から9年間横ばいだったレコードの売れ行きは、毎年一億ドル近く伸びて1959年には6億ドルを突破します。
ビートルズがアメリカにやって来た1964年に7億ドルを超え、1969年には16億ドルにまで達しました。
この急激な成長は、高価なLPレコードの売上が伸びたことも原因でした。
それまでEPレコードの曲の寄せ集めでしかなかったLPレコードでしたが、
ビートルズの「ラバー・ソウル」、
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」や
ビーチボーイズの「ペット・サウンズ」
といった優れたLPレコードの作品の出現により、LPレコード単体でも価値を持つようになっていたのです。
サンフランシスコ市では、1970年代までに音楽産業は、建設、保険、製造業に次ぐ四番目のビッグビジネスになるだろうと予想されるほどでした。
しかし巨大化した音楽ビジネスは、ミュージシャン個人へのプレッシャーとなりました。
1960年代末には、ドラッグへ逃避し自滅する者もあり、残念な結果をもたらした側面もあったことは悲しい事実です。
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【しぼむ好景気】
その1960年代末、
ベトナム戦争の激化により戦死者は激増、テレビ・メディアでその惨状が放映されました。
アメリカ国内でも反戦デモと軍隊、警察の流血衝突は日常茶飯事で、黒人暴動も激しさを増していました。
公民権運動の指導者キング牧師の暗殺、
民主党大統領最有力候補だったロバート・ケネディの暗殺と、立て続けに血なまぐさい事件が起きました。
アメリカ社会はこのような暗い「死」の影に覆われていったのです。
この頃制作されたニューシネマと言われる
「イージーライダー」「俺たちに明日はない」
「真夜中のカーボーイ」「明日に向かって撃て」
といった映画の主人公たちはラストで必ず、あっけない死に至ります。
その暗い影に当てられたかのように、1953年から始まった大規模なブルマーケットは終わろうとしていました。
ダウ平均株価も、66年、68年に1000ドル到達まであと一歩のところまで上がりましたが、69年には下落相場に転じます。
さらにインフレが経済成長を超える5%の幅で推移し、ブルマーケットの重しになってきました。
これは、
泥沼化するベトナム戦争への歳出の増大、
1964年に大統領に就任したリンドン・ジョンソン大統領が採った社会保障、福祉、医療、教育を充実させる政策により、予算支出が増大したことに起因します。
1950年代後半から、企業が事業拡大のため、他企業を合併・買収(M&A)し巨大複合企業(コングロマリット)化するムーブメントが起きました。
それが株価・経済を押し上げた一因でもありました。
しかしそのブームも1960年代後半には一時的に縮小します。
ただ、1929年のようなパニック的大暴落という事態にはなりませんでした。
1930年代のニューディール政策の証券法、連邦銀行法により、金融証券業界の暴走に一応歯止めが効いていたこと。
数年にわたるパニック的暴落が起きるには、アメリカ経済が大きくなりすぎていたこと。
などが挙げられます。
1953年~60年代のブルマーケットの終焉は、いい天気が続けば雨の日が続くといったような、ただ単に活況と破綻のサイクルに乗っただけ、の側面もあるかもしれません。
以後、ベトナム戦争の敗北、爆発的に進むインフレ、
金融界&政界のスキャンダル、オイルショック
に見舞われる、憂鬱な1970年代が始まるのです。
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