【中島飛行機】旧中島家住宅に行ってきました

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旧宅、旧館、お屋敷wが結構大好きな私

2021年夏、旧中島家住宅に行ってきました。

【旧中島家住宅】

中島飛行機の創設者・中島知久平が両親のために築いた邸宅です。

昭和6年に現在のお屋敷の形で完成しました。

利用案内

  • 利用時間 午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)
  • 休館日 月曜日(月曜日が休日の場合翌日)
  • 入館料 無料
  • 駐車場 思ったよりも結構確保されてました。

 

[中島飛行機(株)]

中島飛行機は戦時中まで、三菱重工業、川崎航空機工業と並ぶ航空機製造会社でした。

戦後はスクーター、バスの製造を手掛けていましたが、財閥解体政策の対象になり各地の工場ごとに15社に分割されました。

その後、東京(旧中島飛行機本社)と太田、伊勢崎、大宮、三鷹工場が合併となり富士重工業(株)へ。

現在は株式会社SUBARUという名称になり、高性能四輪駆動システムと水平対向エンジンというテクノロジーを売りしたクルマを開発・販売しています。

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正面表門です。

以下の写真はPanasonicの GF10と Leica DG Summilux 15mm F1.7で撮っています。

正面玄関と車寄せです。

この重厚な車寄せがまず目を引きます。

白御影石の四半敷で、柱の下の基盤・玄関に向かう4段の階段も白御影石です。

玄関を入ってすぐ右側にあるのが応接室です。

外観は”純和風のお屋敷”といった趣ですが、この応接室はフローリング、ステンドグラス、シャンデリアで装飾されていています。

この応接室にはなんちゃって暖炉が2個?設置されています。

このなんちゃって暖炉には当初から電気ストーブが設置されています。

この応接室に限ればすでにオール電化だったということです。

客間から庭を臨みます。

客間から見た庭です。

典型的な日本庭園があるのかと思いきやゴルフ場のようなグリーングラスが広がっていました。

中庭です。

対象的な日本庭園となっています。

ちなみに平面図は以下の通りです。

見学できるところはだいぶ限られてます。

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【まとめ】

外観は純和風です。

しかし車寄せ、洋風装飾が施された応接間、客間からの平面を基調とした庭園など、オールドアメリカンテイストが取り入れた大規模邸宅であることがわかります。

お客にはこのモダンな感じが受けたことでしょう。

抜けのよい一面を芝生で覆われた広大な庭からは、利根川からの風が常に吹き抜けていていました。

当時も夏は涼しく過ごせたのではないでしょうか?

中島知久平氏は海軍大学を卒業後、アメリカで飛行機の製作や整備などを研究していました。

知久平氏のアメリカ生活体験を生かした設計だったのでしょう。

[スバルのクルマについて]

アウディのクワトロ(4輪駆動)より歴史が古く、ポルシェと同じ水平対向エンジンを搭載するスバルのクルマ。

そのプレミアム感漂うクルマ作りから、車種名よりSUBARU(スバル)というブランド名に価値を見出しているファンが多いようです。

スバリストと呼ばれるコアなファンは、群馬県の方角に足を向けて寝ないとか?w

ちなみに村上春樹さんの小説「ダンス・ダンス・ダンス」にスバル・レオーネが出てきます。

車種名で呼ばれるのは最初だけで、主人公はその後レオーネをただ単に”スバル”と呼んでいます。

私のスバルのイメージはやっぱりワゴン車です。

質実剛健で実用的な生活の道具って感じがいいですね。

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